浮世の色彩、今と昔

  色1色彩感覚とは、

国の歴史文化環境などなど、様々な社会的な要因から影響を受けて、
無意識にだんだん身についてゆくものである。
だから、時代の価値観とともに変化していくし、古来から現在まで引き継いできたものもある。

そもそも、前近代の日本にて、日常生活で使われていた色の数は、今より少なかった。
染料が高価だったのもひとつの理由だが、他にも大きな訳がある。 

まず、国の制度
身分にそぐわない色を身に付けることは禁止されていた。
例えば、黄の一色は王者の服、は上流の官人だけが許されていた。
服の色にまで制限があるなんてと思われるが、
「特別な色=権力や尊重の象徴」であり、万人が真似すべきでないと考えられていたのだ。 

次に、宗教的な畏怖
あまりにも鮮明な色彩は何となく心を不安定にさせるとして忌まれていたので、日用外にしか使われなかった。仏教の金碧荘厳の堂塔がその例だ。
そういった色は異常色彩とされおり、この感覚は現代人も共感できるかもしれない。 

つまり、派手な色は避け、身の丈にあった質素な服を着る方が良いというのが当時の人々の常識だったのだ。  

色彩への感性は、日本人が四季折々の豊かな自然に囲まれていることにも由来する。

季節の巡りのなかで人々は好きな花の咲く時期を待ったり惜しんだりするのが常だった。
色鮮やかで美しい花は珍しがられ、見る人をいつもと違う、非日常的な気分にさせたので、 祭に使われたり節句に戸口に飾られたりして重宝された。  

色2なかでも、簡単な交配で思いがけない色の花を咲かせることのある朝顔は人気だった。

こういう具合に色に対して繊細な感覚を持っていたので、普段着仕事着晴れ着の区別は現代よりも重視されていた。

限られた制約のなかで、いかに独創的で上品なものを身につけるか。それが当時のお洒落だった。

ちなみに、染物師はそのための技術を習得しては次々と新しいもの生んで人々に驚きを与える存在だ。
華やかな晴れ着とは違い、普段着の着物は渋みを感じさせる抑えた配色で着る人に心の落ち着きと安息を与える魅力があった。  

後に西洋との貿易で新種の花や染めの素材が輸入され、町は「新しい色」で溢れた。
禁色への意識が次第に無くなり、より自由に自己表現できるようになったことは喜ばしい。
しかし他方で、近代以前の日本には当たり前にあった鋭い色彩感覚が薄れていってしまうのもまた淋しく思う。  

色3

自然色への感性を研ぎ澄ましてみれば、道で見かける花木の色も途端に哀れで感慨深いものに思える。
四季の織り成す色彩のそれぞれを尊んだり畏れたりして愛したのが和の伝統色の原点だ。
そんな昔の粋な感性に思いを馳せながら、日々のお洒落を楽しんでみるのもいかがだろうか。

*参考文献:柳田国男『明治大正史 世相篇』  

 

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