日本人には馴染みが強く、日本式家屋には必ずと言って良いほどあるのが「畳」です。
畳は、日本固有のものです。
日本家屋に根付いた床材である畳の魅力は何なのか。
今回は畳刺士の柳井 博(やないひろし)さんにお話を伺いました。
◎畳刺士になったキッカケは何ですか
祖父が畳屋としてこの工房を始めました。昭和30年創業で、僕で三代目です。
キッカケは実家の手伝いですね。大学生の頃、実家の手伝いをしていて
あるとき親方や職人さん達が集まる新年会に呼ばれたんです。その時に後押しされ、やろうと決心しました。
その後、職業訓練校に通い、実際に針を持ってやってみると意外と面白くて、出来てしまったんです。
◎制作のコツを教えて下さい
実は畳は設計が大事なんです。
どんな部屋にするのかをお客さんと話し合い、その後に畳をどうやって配置するか図面を描きます。
この図面を描くときが面白く、実は一番難しい部分でもあるんです。
部屋は同じものはなく、実はどの部屋も対辺の長さが違えば、対角線の長さも違うんです。
でも、畳は直角。そこで職人の腕が試されます。畳をどのように配置するかや畳の一辺を少し切り、平行四辺形などにして「逃げ」をします。畳をすっぽり収めるにはこの技術は不可欠で、綺麗にハマるかどうかはここで決まります。
◎畳には違うサイズがありますが、その違いを教えて下さい
全ては「太閤検地」から来てるんです。
太閤検地で6尺3寸を一軒と定め、その広さから税金を決めてました。その時代から家屋(かおく)は畳モジュール、つまり柱と柱の間のサイズで測られてました。ここから「一坪(ひとつぼ)」なんていう表記が生まれ始めました。江戸時代になった時に、増税され、一軒につき5寸小さくなってしまい、5尺8寸と定められました。畳の大きさもここからきており、江戸間と京間の大きな違いはサイズだけではなく、その測り方なんです。柱間で測る京間に対して、江戸間は柱の中心部を結んで測るのが一般的になってます。
京都は、畳があって建物が出来るのに対して、江戸は逆に建物があってそこに畳を埋めるので柱分だけ小さくなっているんです。
(出典:CHINTAI情報局)
名古屋などの中部地方は10畳や12畳などの大きい部屋が多い。御殿などが多かったからでしょうね。
そして、中部の柱は少し太いのが特徴です。そしてなにより特徴的なのは柱です。一般的な柱は3寸なのに対して、中部地方は5寸柱がメインですね。
団地間は、40年前の高度成長期と現代では少し違います。
高度成長期は、6畳+6畳+4畳半+キッチン+トイレ・風呂が基本的な構造で、16畳半の畳がひいてあるんですが、鉄筋コンクリート造りに合わせたものになってます。
現代の団地間はより小さくなっている傾向があり、理由としては畳の設置が最後だからです。リビング、キッチン、水回り、押入れと設置いた後に畳を敷くので小さめになりつつあります。
寸法 | サイズ | 地域 |
京間 (きょうま) |
3尺1寸5分✕6尺3寸 (955mm✕1910mm) |
近畿・中国・四国・九州 |
中京間 (ちゅうきょうま) |
3尺✕6尺 (910mm✕1820mm) |
愛知・岐阜の中京地方 福島・山形・岩手の東北地方の一部 北陸地方の一部 沖縄・奄美黄島 |
江戸間 (えどま) |
2尺9寸✕5尺8寸 |
関東・北海道 東北地方の一部 三重県伊勢地方 |
団地間 (だんちま) |
2尺8寸✕5尺6寸 |
公共団地、アパート、マンション等 |
◎柳井畳店「ならではのもの」はありますか
ウチは文化財をはじめとする歴史ある畳の修復も行っています。今は今後、国登録有形文化財に登録されるであろう建造物の畳の張替えを行っています。修復はやっぱり、次の100年も使えるものを誇りをもって作れるという点ではやり甲斐がありますね。町の畳屋として、これがウチの強みであり、ならではですね。
◎工房内の作業風景
続きはコチラから。
⇒世界に似た物はない?日本独自の畳の魅力〜後編〜
【プロフィール】
柳井 博(ヤナイ ヒロシ)/畳刺士
東京都生まれ。東京都畳高等職業訓練校卒業生。
親子三代続く工房にて、現在はお弟子さんと共に制作に励む。
最近はまっているのは「釣り」だそうです。
【有限会社 柳井畳店】
住所:東京都大田区池上6-11-26
Tel:03-3751-6652
HP:http://e-tatami.bz/index.htm
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