もうすっかり秋だ。秋といえば、食欲、芸術、スポーツ、読書と、いろいろな楽しみがあるだろう。
しかし、秋ならではの行楽といったらやはり、紅葉だ。木々が色づき、日本列島が北から徐々に燃えるような赤色に染まる。その美しさは、最近ではロープウェイや川下り、夜のライトアップなど、様々な角度から鑑賞することができる。
日本では紅葉を見物することを「もみじ狩り」というが、なぜこう呼ばれるのかご存知だろうか。
紅葉を愛でる習慣のはじまりは、平安時代にまで遡る。当時、桜などと違って、秋に色づく植物は山野に自生するのみで、庭に植え、好きなときに眺められるものではなかった。紅葉に臨むためには、それこそ狩りの支度のような準備と計画が必要だったのだ。
そして、今でこそもみじ狩りの「狩り」とは、紅葉を眺め楽しむ意味であるが、当時は実際に見惚れた木の枝を折り、手に取って鑑賞する形が存在した。これはまるで獲物を捕える狩りのように、秋の色彩を捕まえるような感覚であったのだ。
見る人の心を奪い、山野への探索に誘ったのは他でもない紅葉の美しさである。しかし、美しさなら他の植物にももちろんある。
では一体、何が日本人を紅葉へと駆り立てたのだろう。
それは、『哀愁』だ。紅葉は、美しさとともに哀愁を持っているのだ。
葉の色が変わるのは、落葉する前。つまり、枯れる前だ。寒くなり日中と夜間の気温較差が大きく、また日照時間が短くなると、それまで葉を緑色にしていた物質が分解されてしまう。それにより元々含まれていた別の色素が見えるようになる。また、葉に蓄積された糖類などにより新たな色素が作られたりする。
このようにして葉が鮮やかな赤や黄に色づくわけだが、何のために色が変化するのか。
その理由は諸説あり、未だ明らかになっていない。
昔の人たちは、やがて来る冬の寂しさを感じ、枯れて散る葉に我が身を重ねていたのかもしれない。そんな思いが受け継がれているのか、紅葉を見ていると、どこか物悲しい気持ちになってしまう。
だがそれと同時に、老いて朽ちる前に力を振り絞り輝く、命が燃えるさまを感じられる。この命の躍動と終焉こそ、紅葉の魅力だと思う。
そんな紅葉は現在、北海道から中部地方までのほぼ全域がちょうど見頃だ。
家族で、恋人同士で、また1人でも、もみじ狩りに出かけてみてはいかがだろう。秋に染まる木々に囲まれ、あなたの心は何を感じるだろうか。
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