セーラー服といえば。
映画『セーラー服と機関銃』(1981)では、薬師丸ひろ子演じる女子高生星泉があどけない少女から大人の女性へと成長していく様子が描かれている。ブリッジをして『カスバの女』を歌う登場シーンでは強烈な印象が残った。
最近リメイクされたテレビアニメ『美少女戦士セーラームーン』を含め、もっぱらアニメーションの世界では制服として頻繁に見かけられる昨今、遂にはセーラー服はコスプレとして海外へと逆輸入されつつある。
時代の流れに沿ってかくも次から次へと形を変え、着る人まで変化していったセーラー服の歴史。
ひとつの服がその時々の世の中の変容を映し出す。
1.セーラー服の起源
起源は19世紀まで遡る。厳密には1857年に軍服としてイギリス海軍の制服になったのがはじまりとされている。特徴的な四角い襟は、兵士の誰でも容易に裁縫ができるようにと編み出されたものだ。
英国では子供服としてまず世の人々の間で流行が始まった。
大きな襟は防寒性もあり、首元が三角なので簡単に脱着することができるセーラー服。そして、何と言っても当時の人々の憧れである水夫の制服を子に着せることが流行らないわけがなかった。
水夫(セーラー:Sailor)とは、爽やかさ、男らしさと海の象徴だ。
そんなイメージを逆手に取り、あえて若い女性が着るのがファッションとして徐々に注目されはじめる。そして、1920年代にまで続くボーイッシュ・ブームの一環として、ヨーロッパとアメリカの各地で女性に着られるようになっていった。
2.日本女学生の制服として
最初に日本で制服として導入されたのは1920年、京都の女学院においてと言われている。それまでの女学生の制服は、着物に袴が一般的だった。
セーラー服が取り入れられた直接的な理由は、女学生の体操教育が始まったからだ。また同時に、大正期には生活様式の洋風化が急速に進んだため、限られたエリート層の女学生が着るセーラー服はモダンでスマートな印象を与えるとして適していた。
まずはワンピースにセーラーの襟が付いたものから、より動きやすいものである上下セパレート型のものができ、戦時中には物資不足によって下がもんぺになった。今でも広く残っているのは、上下が別れた紺色のものだ。
機能性に優れた服が良くも悪くも戦争によってもたらされたことは事実であり、戦争と教育が密接に関わっていることもまた避けられない。一方、社会的な女性の変化にも制服が一翼を担っていた。
さて、セーラー服に対する上記のようなボーイッシュだったりモダンだったりといった印象は無くなったのが現代日本である。
それに取り代わったブレザー型の制服と比較してみると、前近代の女子学生を彷彿させる、古めかしく奥ゆかしいイメージだけが残ったというところだろうか。
前に上げた例を参考に言い換えるならば、少女のアイコンとしてのセーラー服だ。
長年廃れないのは、その形状が機能性とデザイン性を兼ね揃えているからこそに他ならない。また、ファッションとしての汎用は発祥国の英国よりも日本のほうが広まって残っている現状、日本文化としてのセーラー服の動向も見逃せない。
【参考】
・(株)トンボ・ユニフォーミュージアム「セーラー服の歴史
・Royal Navy(英政府公式サイト), “The History of Rating Uniforms”
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