女性ならではのやさしさとぬくもりを感じられる作品作りを心がける鍛金作家ー宮田琴ー(前編)

宮田 琴(Koto Miyata)
鍛金作家
鍛金という伝統技法を用いて、オブジェからアクセサリーまで制作している。
2004年 東京藝術大学大学院 修士課程工芸専攻(鍛金) 大学院 修了/2005年 東京藝術大学大学院 鍛金研究室 研究生修了/2006年 東京藝術大学大学院  美術教育 研究生 修了

下町の荒川区にて鍛金作品を作る女性作家、宮田琴さんにお話を伺いました。前編では作家になるまでの道のりと鍛金についてお届けします。


ー本日は宜しくお願いします。まず、自己紹介からお願いします。

芸術分野の最高峰への想い

宮田 琴 氏(以下、宮田) はい。現在鍛金作家として活動しております、宮田 琴(みやた こと)です。東京藝術大学卒なのですが、実は以前、武蔵野美術大学の工芸工業デザイン学科に2年間在籍していました。
第一志望であった東京藝術大学のことが諦められず、大学生をしながらずっと勉強していました。仮面浪人ですね。そして、実質4浪をしてから東京藝術大学に入学しました。

専攻は工芸科だったんですが、途中から先行を決めるんです。
そこで金属の「鍛金研究室」というところに3年生から入りました。

大学卒業後は、大学院へ進学し、研究生までいき、勉強しました。
研究生の後は、アクセサリーの専門学校の非常勤講師をしつつ、自分の作品を作っていましたね。
今は創作活動をする傍ら、江東区伝統工芸会に所属しています。

4浪ですか。そこまでこだわった理由はなんですか?

宮田 うちの家系が美術系なんですね。おじいちゃんが金工作家で、父が東京藝術大学の先生をやっていたので、環境の影響もあってか、自然と美大に行きたいなと思い、目指すなら1番上目指したいなと。
そこからですね。

ーなるほど、いいですね。実質4年間の浪人を経て、藝大に入られたわけですが、途中で心が折れるような事はなかったんですか?

宮田 そうですね、やっぱり受験って1年に1回しかないチャンスに向けてやっていく中で辛い事は沢山ありましたし、
日々、美大専門の予備校の先生たちにダメ出しをくらいつつ、けちょんけちょんに言われましたね(笑)。
でも、やっぱり描くことが好きだったりとか粘土細工が好きだったりとか、やっていく中で着実に褒められることや上手になることが多かったです。

ーダメ出しまで…
代々、芸術関係・美術関係だったという話でしたが、親からの反対はなかったのですか?

宮田 反対は1切なかったですね。やりなさいってゆう勧めもなかったです。応援はしてくれてましたね。

ー自分のやりたいことを堂々とやりなさいってゆう感じで、ご理解があったんですね。
でも、仮面浪人って大学に行きながらですよね?美大という専門性の高い大学で仮面浪人とはどんな感じなんですか?

宮田 美大は決して特殊ってわけではないですよ。
でも、講義というよりは実技が主で、一定の期間が与えられて先生方に技術を学びます。
特に、工芸なので技術を学ぶってゆうイメージが多かったですね。
金属やプラスチック、陶器、漆、ガラスなど色々な素材を満遍なく勉強しました。

ー満遍なく勉強する中で、金工作家になったというのはやはりお祖父様やお父様の影響が大きかったということですか?

宮田 大学で一通り学んだ中で、一番の理由は、素材が身近にあったからですね。おじいちゃんのもそうだし、父親のもそうだし。

後に学長となる実の父の講義を受ける

ーお父様は先生だったと仰っていましたが、もしかして担当講師ですか?

宮田 そうです、まさにそうでした。

ー不思議な感じでした?

宮田 そうですね。学校通って、お父さんが教授で教室ので。
でも、意外と大丈夫でした。東京藝術大学進学後は、1人暮らし始めちゃったというのもありますし。

ーでも、お父様の講義を受けるってなかなか無い経験ですよね。
お父様は作家としてではなく、主に講師だったのですか。

宮田 いえ、両方でした。
私が入学した時は、父は鍛金の研究室の教授で、大学を私が出る時は学長をやっていました。

研究生として腕を磨く日々

ー宮田さんの最終学歴ですが、大学院の修了が、修士課程の鍛金と鍛金研究室と美術教育研究生と3つあって1年づつずれているんですが、これはどうゆう事ですか。

宮田 これはけっこう特殊だと思うのですが、鍛金の2004年の修了がいわゆる大学院で3年間という感じです。修了後は、卒業して学校を出る人もいるんですが、研究生とゆう形で1年間そのまま学校で学ぶことができました。
1年ですけれども、そのまま研究室に在籍させてもらえるんですね。それは1年だけなので鍛金研究室の研究生を1年、その後、教員の仕事にも興味があったので、美術教育ってゆう研究室があって、そこで研究生をもう1年やりました。

アトリエで作業をする宮田さん

ー専門学校の講師は、いつからやられていたんですか?

宮田 結局、最後は専門学校の講師をやりながら、美術教育の研究生をやっていました。
年齢的にも上の方なんで、仕事やりながら大学生をやっていました。
例えるなら、大学生が家庭教師や塾の講師をやっているような感じですね。

ー踏み入ったことを聞くようですが、何年間ほど学生だったんですか?

宮田 2006年までなので、10年間ですね。
美大生は多いですよ。私は、もともといた大学を辞めて藝大に入りましたし、
美大だと大学院まで行くのが普通みたいになっているので、4年で出ちゃう人はあまりいないかな。
こんなに長い期間学生をやる所ってないと思いますよ。
やっぱり、そこで技術的なスキルを自由に学べるのは一番うれしいんです。
就職してしまうと違う業務が入ってしまったりしますけれど、美大とか藝大は自分のやりたいことを追求するのが1番の仕事なので、学生生活が長くなってしまいました。

ー大学院ではなく、学部に所属している時に鍛金をやるって決めた訳じゃないですか。鍛金をやるって決めた時に、大学に残って大学院に行くという選択肢と鍛金の工房に弟子入りして学ばせてもらうのと2つあると思うのですが、なぜあえて大学に残ったんですか。

宮田 実際、鍛金をやっているところってないんですよね。お弟子さんとっているようなところもほとんどないんです。
あっても、新潟の玉川堂さんや燕三条の職人さんしかいなくて、東京に住んでいるし、新潟に行こうとはなりませんでした。

大学にいることによって、いろいろと鍛金以外のことも見ることができますしね。

ー鍛金以外にも専攻されている方が他にいたかと思うのですが、大学時代からも鍛金と何かを掛け合わせれることはやられていたのですか。

宮田 多くはないですが、漆で色を染めることもあったので、研究室にお邪魔して話を聞きに行ったりはしましたね。結果的に、同級生や先輩が今だに繋がっているので、グループ展を一緒にやったりとかしてます。
鍛金だけではなく、大学にいたからこそ陶芸作家とコラボしたりしてます。
職人さんよりかは、この横の繋がりは大学にいたからならではだと思いますね。

ー職人さんと聞くと、縦割りが強いですよね。
横の繋がりの話がありましたが、縦の繋がりはどうでしょう?

宮田 実はこのアトリエは、先輩の金工作家さんとシェアしているんです。
こうやって実際に、先輩とシェアしてアトリエを持つってゆうのもまさにそうですが、1人では環境作りをするのもなかなか出来ないので、先輩が揃えてくれた機材使わせてもらったりしています。

ーその先輩も藝大を卒業されているんですか。

宮田 そうです。今はヒコ・みづのジュエリーカレッジの講師をしているので、週末だけしかいなくて、私は平日だけ来ているので。

ーじゃあ、なかなかここでご一緒することはないんですね。

宮田 そうですね。創作活動が多いので。、自宅とアトリエを別にしているのですが、ここは場所的にいいこともあるんですよね。
ここら辺は下町なので、色々な職人さんがいるんですよ。
メッキ屋さんや材料屋さんがあったりして。
また、2006年に大学を出た時からここで活動しているので、最近はこの辺りで顔が効くようになってきたということもあり、場所を移動するのは難しいんですよね。

ー場所を移転するのは難しいとのことですが、あえて江東区の会に入っているのはなぜなんですか。

※宮田さんが所属する江東区伝統工芸会のHPはこちら
http://www.edo-shokunin.com/

宮田 本当にたまたまなんですけれど、ある展示会を見に行った時に、錫の職人さんと仲良くなったんです。その方から、メンバーを増やしたいのでと声をかけてくださったことから所属するようになりました。

ー江東区伝統工芸会は、イベントなどはやってらっしゃるのですか。

宮田 年に数回イベントに参加したり、展示をしています。
ここ数年、福岡の岩田屋三越での展示が恒例となっています。

自由自在に形を変えられる

ー次に、鍛金とは何かというご説明をお願いしてもいいですか。

宮田 銅が金属の中で1番伸縮率がいいので、銅板が基本なんですけど、1枚の板を金槌を使って叩いて、形を変形させて立体を作っていきます。
銅は、叩くと硬くなるんですが、それを1度バーナーで温めることによって冷ましても柔らかい状態になります。
銅は冷ましても柔らかいままなので、冷たい状態で叩いて、縮ませていきます。
鉄は熱いうちに打てとありますけれど。
鍛金はそれが基本になります。
金槌や道具も自分で作ります。
ここに置いてあるのは1番シンプルなので、同心円状ですけれど、どんな形でも作ることは可能ですね。

左:一番最初の状態 右:形を変形させて立体となった状態

ー順を追えばそうなっているんですね。銅板はいろんなサイズがあるということですか?

宮田 いろいろなサイズがありますね。作る物によって厚みや形が変わります。
私は、銅板を仕入れてカットしてと全て自分でやっています。
銅板1枚から作成するもので、1番複雑に出来るとしたら、この猫ですね。

出展:宮田さんHPのスクリーンショット

これも1枚の銅板から作っています。底面が開いている状態になります。
実はこれ、ほとんど実際の猫と同じ大きさです。

ー実物と同じ大きさ!凄いです。宮田さんの作品でフクロウを以前ネットで見かけたのですがあれも1枚ですか?

出展:宮田さんHPのスクリーンショット

宮田 いえ、これは逆に鉄で、継ぎ接ぎだらけで溶接して大きくしています。

 

ー粘土や紙細工と違って手で簡単に曲げられる訳ではないですよね。作品を作る時って、設計図とかも作ったりするんですか。

宮田 そうですね、まずスケッチから入ります。大きいものですと、実際の大きさを鉄のフレームでつくり、スケール感を出して、それを見ながら材料を切ったり、溶接するしたりします。

 

(後編へ続く)

後編はこちら

女性ならではのやさしさとぬくもりを感じられる作品作りを心がける鍛金作家ー宮田琴ー(後編)

【取材:戸田 秀成
【写真:金子 燎之介