渡邉 靖久(Yasuhisa Watanabe) 間々田紐 代表/組紐師 1979年 栃木県小山市間々田生。祖父が始めた95年続く工房を守る三代目。
ー宜しくお願いします。まず、自己紹介をお願いします。
はい。間々田紐の渡邉靖久です。宜しくお願いします。
大学卒業後、22歳からこの仕事を始めました。なので、もう15年ほど組紐師としてやっています。
趣味はサッカーです。プレイするのも好きですし、観に行くのも好きです。
ーありがとうございます。現在37歳ということですが、職人としては若手ですよね。
幼少期から家業を継ぐという思いはあったんですか?
そうですね。そこは難しいところです。地元の中学・高校に進学し、大学へ進学するかという時にまだやりたいことが決まっていなかったので、大学でやりたいことが見つかればいいかなと思い都内の大学へ進学しました。
父は昔からこの職業は自ら望まない限り続かないと常々言っていましたし、そういうこともあってか無理やり継いで欲しいと言われたことはないですね。
職人として道を歩む転機となったのは大学2年生のときです。私が大学2年のときに父が亡くなりまして、家族や当時いた職人の方々と話して、就職ではなく家業を継ごうと決意しました。
ー修行を始めるようになり、どなたから教わったのですか?また、大学生がいきなり始めて出来るものなのでしょうか?
叔母さんなどから教わりました。あとは、母や姉ですね。自分で試行錯誤しながら勉強もしました。
間々田紐は親戚一同でやっているんです。
初代は祖父、二代目は父、そして父他界後は母が代表として努めてきました。
2014年には従姉妹の久美ちゃん(石田久美子 氏)と共に栃木県伝統工芸士に認定されました。
ー本当に家業ですね。親戚だけで広げている理由はあるんですか?
間々田は元々組紐の生産地ではないんですよ。
初代代表の祖父が東京で修行をし、大正時代に間々田地域に戻り、修行先の下請け業者としてスタートしました。そして、昭和に入ってから、民芸運動で有名な柳宗悦(ヤナギムネヨシ)先生と近藤京嗣(コンドウキョウジ)先生が訪れて頂き、そこでこの辺の地域の名前「間々田」をとって間々田紐と名付けてくださいました。その流れで今も続く、一家の家業となっています。
民藝運動は、1926(大正15)年に柳宗悦・河井寛次郎・浜田庄司らによって提唱された生活文化運動。失われて行く日本各地の「手仕事」の文化を案じ、近代化=西洋化といった安易な流れに警鐘を鳴らし、物質的な豊かさだけでなく、より良い生活とは何かを民藝運動を通して追求した。(参照:日本民藝協会)
ー話は飛びますが、今後についてどう考えていますか。4代目を考えたときにやはり息子さんに継いでもらいたいものでしょうか。それとも、弟子入りを希望する人が現れたら、受け継ぐつもりなのでしょうか。
息子が後を継いでくれたらうれしいですけど。強制することは出来ないのでなんとも言えないです。 父も私に言っていましたが、本当に地道な作業が多いので自ら望まないと続かない仕事だと思うので。私も実際にはじめてみて実感しました(笑)。
そしてなにより私もまだまだ修行中ですし、息子もまだ小さいので後継者という考えには至っていないです。今は本当に自分が技術を習得することが最優先。
ーご自身も修行中ですか。だいたいどれくらいの期間でワザを習得し、一人前になれるのでしょうか。
10年が一つの節目みたいな感じだと思います。10年修行して、やっと仕事に慣れることが出来ると思っています。
ー10年ですが。。。長いですね。
ー渡辺さんは現在も修行中とのことですが、これまでで一番辛かったまたは苦い思い出はありますか?
一番は、糸を無駄にしてしまったことですね。
修行し始めた当初は慣れていなくて、どうしても糸を無駄にしてしまうことが多かったんです。
染色や糸巻きなど全行程を工房で行うので。糸巻きは組むときに糸が絡まないように事前にこの枠に巻きつけるんですよ。
ー本当に一貫して作業をされているんですね。
ー続いて間々田紐について教えてください。
間々田紐の特徴としてまず
・国産の絹糸を使用している
・草木染が染色の主軸(化学染もあります)
・手組みで作っている
が3つの特徴となっています。ほとんどの組紐が機械生産になっているなか、ウチは100%手組みで作っています。
手組みだから良いということではなく、機械生産も良いところもある。逆にいえば手組みでは出来ない部分も機械生産は出来るということもあると思います。 ですが、間々田紐は全て手組みです。
絹糸ですが、国産繭である「ぐんま200」という品種を使用しています。量と価格が安定しているので。 でも、国産の繭って高いんですよね。
ー手組みにこだわってらっしゃいますが、手組みの良さってなんでしょう?
締めた時に一番感じ取ることが出来ると思います。締りが違います。程よい硬さを出せます。 そして何より、手仕事なのでお客様の色や柄、太さなどの細かい要望までお答えすることが出来ます。これが最大の強みですね。一本からも承ってます。
ー間々田紐の作品について教えてください。間々田紐ってどこで見ることが出来るんですか?
現在作っているのは主に”帯締め” ”刀の下緒” ”ループタイやアクセサリー”です。
また、以前にレストランの装飾品として使用して頂いたこともあります。テーブルの飾り付けとして使用されました。
他は、陶芸家の柄出しに使用して頂きました。
ーでは次に、渡邉さんが得意とする技法はありますか。
まだまだ修行中なのでどれが得意とかないのですが、強いていうなら「高台」です。 もちろん丸台や角台も使用するんですが、「高台」での作業が多いです。
高台は父の専門だったんです。父が亡くなってから高台で作業出来る人がいなかったということもあり、私が担当するようになりました。
当店では5種類の組台を使い分けるのですが、それぞれ担当の職人がいます。
ー丸台や角台など様々な台を駆使していますね。それぞれの違いはなんですか?
それぞれの台によって使う玉の数や、組む柄が違うんです。また、丸い紐を作るのか平べったいものを作るのかでかかる時間や工程も違います。なのでそこが一番の違いですね。それぞれの台に色があります。
ーお仕事の注文はどこからが多いですか?
刀の下緒は居合道をやっている方やコレクターの方から注文が来ます。刀に紐は欠かせないので。
帯留め等は注文が多いので、基本卸売はしていなくて、こちらが工房兼ショップなのでここで販売しています。やっぱり色や柄を見て貰いたいですし、ここですと作り手が直接説明することが出来ますので。
ー工房に実際に足を運んで頂き、作り手とのコミュニケーションを通して購買へつなげたいと。
ー渡辺さんのところは他に、アクセサリー等の製作も積極的に取り組まれていますよね。始めたキッカケはなんだったんですか?
父の代から作っているんですよ。 父はチャレンジ精神旺盛だったので、こういったアクセサリー類を作ったりして新しい取り組みをしていました。どうしても帯留めの売上も落ちていますから、組紐を知ってもらうための手段として始めました。
直近ですと、作家やジュエリー会社とコラボレーションした商品も作ってます。
ー指輪やネックレスも作っているんですね。これはまさに「現代にフィットする」商品ですね。
はい。ウチは紐の制作をし、金属加工等はジュエリー会社さんにやって頂いています。 ある意味分業体制だから出来たかもしれないですね。組紐を知ってもらうキッカケになったらいいなと思っています。
※クリックすると拡大することができます。
ー最後ですが、譲れないこだわりと今後について教えてください。今後の展望はありますか?
ーお客様第一、素晴らしいです。本日はありがとうございました。
(終)
【取材・文:戸田 秀成】
【写真:金子 燎之介】
変なものは作れないな、といつも思っています。
これは卸売をしていないところに通じていると思います。お客様とコミュニケーションを通して一個一個商品を作っていく。最終的にお客様が喜ぶ顔を見ることが出来るようにする。これにつきると思います。
今後も、紐を探しに来て頂いたお客様のご要望に応えられる様、知識や技術を磨き、お役に立てるよう精進していきたいと思います。
私としては、やっぱりお客様第一に考え、お客様が喜ぶ商品を作り続けたいです。