埼玉県秩父地方では、国の伝統的工芸品に指定されている絹織物「秩父銘仙」が織られています。
この織物は独特の技法により生地に裏表がなく、玉虫色の光沢と色鮮やかな植物柄が特徴です。また、あまり高級でない絹糸を使用していたため、庶民、特に女性の間で普段着やおしゃれ着として明治から昭和初期にかけて全国的に人気を博しました。
しかし生活様式の変化で生産は大きく縮小し、今では秩父で銘仙を織る機屋は数えるほどしかいません。そこで今回は、数少ない織元の一つ「織元 浅見織物」の浅見義之(あざみよしゆき)さんを取材しました。織物と共に生きてきた機屋の「今」に迫ります。
◎浅見織物の歴史~なぜ織物業に?~
浅見織物は、昭和26年(1951年)の2月から続く創業64年の織元です。隣町の横瀬町に本家があり、戦後の瞬間的な好景気により生産が大きく伸びたことから、先代であった浅見さんの父親が秩父市で独立しました。
高校卒業と同時にこの世界に入った浅見さんは現在二代目、自宅兼仕事場で日々生産を続けています。子供の頃、市会議員の半分が織物業者だった時代を見てきた浅見さんにとって、後を継ぐのはごく自然なことだったそうです。
しかし、三代目は難しいと浅見さんは言います。それは、後継者の育成だけでなく、その生産体制が理由でした。
◎県をまたぐ分業
秩父地域の織物は分業が基本です。浅見さんは織りを主にやっていますが、それまでに染め・巻き・乾燥など何十もの工程があり、それらは地域の別の織物業者が引き受けていました。しかし現在は業者の数が減ったために、浅見織物ではそれぞれの工程を国内の各地に依頼することによって成り立っています。
①まず糸を原料屋(群馬県太田市)に電話で注文します。
②糸には経糸(たていと)と緯糸(よこいと)があり、経糸は東京都青梅市、緯糸は埼玉県さいたま市大宮区の染め屋に送り、染めてもらいます。
③さらに経糸は織る際にストレスがかかるため糊付けをしますが、これは群馬県桐生市で行われます。
④できた糸を秩父に運び、浅見さんが模様を織ります。
⑤最後は山形県米沢市で仕上げをされ完成です。
このように距離があるため顔を合わせることは滅多にありませんが、互いを信頼しているので今まで問題が起こったことは一度もないそうです。
しかし現在、各工程に携わっている人達が高齢化しており、今の体制もいつまでも続けられないだろうと浅見さんは言います。そのため後継者は全ての工程を一人でやっていかなければならず、負担が大きいだろうというのです。
◎長い低迷に「指定」の転機
複雑な分業体制が避けられなかったのには秩父の織物産業の衰退が大きく関係しています。
昔は着物とともに夜具という布団地が売れていましたが、昭和30年代後半にサテン更紗という織物が流入し、秩父織物はサイズや染色堅牢度などの機能面で劣っていたため生産が落ち込んでしまいます。
浅見さんは「今までずっと長い上りがあったから、皆また上がるだろうと思っていた。しかしそのまま下がってしまった」と言います。
そんな長い低迷のなか一昨年、転機が訪れます。秩父銘仙が国の伝統的工芸品に指定されたのです。補助金によりイベント出展なども増え、市内のちちぶ銘仙館では月に3~4日、育成講座で技術指導もしています。
「確かに遠方からわざわざ買いに来てくれるお客さんも増えてありがたい。でも我々の仕事はあくまで生産。国や県からは後継者の育成や銘仙の販売促進を求められているのだろうけど、そもそも人が少ないからそちらまでなかなか手が回らない」と浅見さん。「皆悩みは一緒。今はただ一生懸命やるだけ」と意気込みます。
◎作業風景・主力商品
浅見織物の織機はモーター式で、昭和37年製の機械も現役で稼働しています。機械ごとに織るものが違うので、時代ごとのニーズに合わせて何をメインで作るか考えられています。シャットルという緯糸を収めた道具が経糸の間を往復運動をすることにより織り上げていきます。
作業場。建物も機械も年季が入っている。
経糸は約3000~5000本。全て手作業で通す。
糸を巻くための機械。巻いた糸一本一本の移動・並べ方で柄が変わってくる。
座布団地。わざと表面にゴツゴツ感を出している。
色とりどりの糸。これから多彩な模様が生み出される。
そんな浅見織物のイチオシ商品は「マフラー(ストール)」です。木綿製のため銘仙ではありませんが、美しい色と風合いがお土産に人気でリピーターもいるそうです。これは染めと織りの両方を浅見さんが行っているので染料の調節やUVカット仕様、二重織りなど、自由に試行錯誤を重ねることができます。最近は新たな試みとして白の経糸にブルーの緯糸を織り交ぜたデニム風のマフラーを作っています。
「まだあまり反応はないけど、面白いからもう少し深追いしてみようと思う」と常に前を向くことを忘れません。今秋、本格的に商品化する予定だそうです。
他には綿をあらかじめ縮ませてから織り、洗濯ができるようにした座布団カバーなども扱っています。主に旅館や割烹に出しています。
また銘仙の着物は今はあまり需要がないため、3~5年おきにしか織らないそうです。
◎いま思うこと
「普通は自分のような年齢では定年退職しているだろうに、こういう世界・商売だから自分の自由。この歳になってもまだいろいろなことを考えるし、それを試していきたい。好きなことをいつまでも仕事にできる今の環境に感謝している。もっと商品を消費者の近くに届けられるよう頑張りたい」
【プロフィール】
浅見義之(アザミ・ヨシユキ)/機屋
織元 浅見織物二代目。夫婦で機屋を営む。マフラーや帽子など、小物を中心とした商品を織っている。
【織元 浅見織物】
住所: 〒368-0051 埼玉県秩父市中村町2−8−6
電話: (0494) – 22 – 3396
HP: http://www7b.biglobe.ne.jp/~orimono/
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