1月2日 箱根駅伝往路・復路決定

1956年から正月の風物詩の一つである箱根駅伝(正式名称:東京箱根間往復大学駅伝競走)の往路、復路のルートが決まりました。

1920年に始まった箱根駅伝は、マラソンの父として知られる金栗四三(かなぐりしそう)などが世界に通用するランナーを育成したいという想いからスタートしました。
箱根駅伝の原型と言われているのは「東京奠都五十年奉祝(とうきょうてんとごじゅうねんほうしゅく)・東海道駅伝徒歩競走」であり、これは京都三条大橋と上野不忍池間を三日間昼夜兼行で走り継ぐものでした。

第1回大会からは二日間に渡り開催していましたが、明確な往路復路は決まっていませんでした。第二次戦争中に一度中断されましたが、1947年に復活し、1958年の第32回大会からは2日を往路、3日を復路として開催することが関東学生陸上競技連盟が定める「東京箱根間往復大学駅伝競走に関する内規」によって決められました。

箱根駅伝は往路と復路では距離が異なり、往路107.5km・復路109.9kmとなっています。これは使用する道路によっては迂回する部分があるためです。

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