戦後焼け野原からの復活―高円寺阿波おどりの舞台裏―

冨澤さん

冨澤武幸
NPO法人東京高円寺阿波おどり振興協会事務局長、飛鳥連代表。
1958年生まれ。高円寺出身。幼少から阿波おどりを始める。連の代表として東京高円寺阿波おどりの運営にも携わっていた経験から、事務局長に抜擢される。

戦後の街おこしとして始まった阿波おどりですが、100万人が観に来る一大イベントになりました。どのような変化がありましたか

冨澤武幸(以下、冨澤) 阿波おどりは、パル商店街からスタートして隣接する商店街や周辺地域へと広がっていきました。規模の拡大にともなって、アルバイトで成り立っていたものが途中でNPO法人化されました。私も阿波おどりをずっとやっていて、阿波おどりの運営に携わっていた経験がありまして、事務局長に抜擢されました。なので、事務局長になってからもなる前とほとんど同じ仕事をしています。

法人化されてからの運営体制はどのようになりましたか

冨澤 専従者は私だけです。ですが、連のつながりや、阿波おどりを応援してくださるボランティアの方など、多くの方に支えられています。来年は60回と区切りの年なので、記念誌を出そうかと思うのですが、記事を書いたり全て自分たちでやらなければならないので大変ですね(笑)。でもね、大変なことはあっても、苦だとは思わないんです。それを乗り越えると見えてくるものがあるからです。

阿波おどりを開催するうえで大事にしているのはどのようなことですか

冨澤 規模の大きさを主張するのではなく、住民の方の満足度が大事だと思っています。焼け野原からの復帰を目指して始まったものだから、地域の人が大事ですね。地域の人の理解をえながらできれば、自然と人は集まってくるのではないかと思っています。

それから、杉並区在住の外国人にも声をかけました。新しく移り住んできた人は、なかなか地域に馴染めないでいる状況があります。それを打開したいと思いました。お祭りに参加することで、地元の文化や歴史、人柄にも接することが出来るから、地域のコミュニティに入れる一番の早道かなと思いました。結果、とても喜んでもらえて良かったですよ。

踊りてとしての自慢を教えて下さい

冨澤 阿波おどりの魅力は、踊りと鳴り物が連動していることだと思います。よさこいは、CDとかアンプで音をだすでしょ。阿波おどりのように、生音で演奏して踊るというのはあまり多くないんですね。そのぶん、騒音の問題で練習場がなかったのですが、行政と連携して防音の練習場を確保することができ、おどりのレベルがとても上がっているので、皆さんにより楽しんで見ていただけると思います。また、それにともなって年々ブランド力が上がってきていると思っています。

以前は、おどる側が「踊ってやっている」という気持ちが強かったようなのですが、運営を手伝うようになって、地域の方がどんな思いでイベントを作っているかを共有することが出来てきて、成長しているように思っています。1年間を通して活動しているボランティアの方たちも出てきて、人と人との関係性が構築できつつあるというのが自慢でもあります。

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阿波おどりの海外での広がりはありますか

冨澤 海外で阿波おどりの団体ができたというのはありませんが、高円寺阿波おどりがフランスの記者の方の目にとまって、日本人は几帳面でお行儀がいいというイメージが良い意味で崩されて、これを日本の一断面として世界へ発信しようとパリでの公演が企画されました。こんな風に、全く知り得ない海外の方と接点が作られるのも面白いですね。踊りだけではなくて、イベントをつくるために集まった人たちのネットワークで色々なことが生まれるのが本当に面白いですよ。

 
取材を終えて

来年で60回をむかえる高円寺阿波おどり。東京の一大イベントを支える多くの方々、それをまとめる冨澤さんとのチームワークがあってこそ成り立つものだと感じました。一方で、ゴミや騒音の問題があることも分かりました。「年に一度の稼ぎどきとして、商売をやる人たちには頑張ってもらいたい」と冨澤さんは仰っていました。そんな想いがこの記事を通して伝わり、もっともっと魅力的で素敵なイベントになるよう、応援し続けたいと思いました。

 

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