小さな玉の中に様々な世界を -とんぼ玉作家 なかの雅章-

なかの 雅章(Masaaki Nakano)
1971年(昭和46年)東京都、東十条生まれ。とんぼ玉作家。
ジュエリー専門学校、インストラクターを経て、独立。現在は、とんぼ玉作品製作とミクロモザイク作品製作をメインに活動をするかたわら、とんぼ玉教室をも運営している。

日本国内では、吉野ヶ里遺跡にてエジプトからの輸入品の小型とんぼ玉が出土されており、正倉院には作品と共にその製法を記した書物が収蔵されているとんぼ玉。
奈良時代から製法が一般的に伝えられ、国内での生産が盛んになったと言われています。

今回は、硝子を溶かして様々な作品を作るとんぼ玉作家である なかの 雅章さん にお話を伺いました。


ー宜しくお願いします。まず、なかのさんの経歴を教えてください。

宜しくお願いします。私は、1971年生まれ、東十条で育ちました。20歳までジュエリーの専門学校に行っていて、その時にとんぼ玉の先生がいて、少しずつ習うようになりました。最初は趣味で始めたのですが、今は仕事となってます。

実家は元々呉服屋でして、そのときに見たものは今もとんぼ玉の制作には活きていますね。

ーお父様は呉服屋さんだったのですね。その時の経験が今に活かされているのはいいですね。

はい。祖父の代から呉服屋でして、父親は二代目でした。でも、呉服屋はどうしても時代の流れで衰退してしまっている。僕は三代目なのですが、呉服屋として継ぐのではなく、とんぼ玉作家の道を選びました。現在「海津屋(かいづや)」という屋号でやっているのですが、これは呉服屋時代からの屋号を使わせてもらってます。

ーお祖父様の代から続く屋号を今も引き継いでいらっしゃる。素晴らしいですね。お祖父様、お父様と代々呉服屋さんでしたが、なぜジュエリーの世界に入ろうと思ったのですか。

高校時代の美術の授業がきっかけですね。どうしてもルネ・ラリックが好きで、アール・ヌーヴォーにも興味がありもっと専門的に学びたいと思って専門学校に進学しました。
昔から図工とかものづくりが好きだったんです。モノを作る中でも、特に細かい作業が好きで、進学するときにジュエリー専門を選びました。

編集注
ルネ・ラリック(René Lalique)とは、19世紀~20世紀のフランスのガラス工芸家、宝飾(ジュエリー)デザイナー。アール・ヌーヴォー、アール・デコの両時代にわたって活躍した作家。
Wikipediaより

ーものづくりと聞くとDIYが昨今流行っていますよね。なぜジュエリー、そしてとんぼ玉を選んだんですか?

ジュエリーはどうしても石の色や周りの金属のデザインに依存してしまうと思うんです。でも、その中でとんぼ玉は違った世界観があると思い、良いなと思ったので。一つの小さな玉の中にいろんな技術・技法を混ぜ合わせることが出来るのがとんぼ玉の魅力だと思うんです。そこに惹かれましたね。

ーとんぼ玉ってちょっとイメージしていたものと違い驚きました。一つの玉に作家の世界観が詰められているのですね。

ー高校卒業後はジュエリー専門学校に進学され、専門学校時代にとんぼ玉に出会ったとおっしゃいましたが、卒業後いきなり作家として活動を始めたのですか?

そうですね。とんぼ玉の制作はいきなりは取り掛かっていなくて、卒業後はジュエリーの制作を始め、数年ほど先生のお手伝いをしていました。当時はまだとんぼ玉の制作は趣味で進めている程度でした。その後スペインへ留学しました。スペインの美術的なものを見学し、スペインからイタリアへ移動してみたりとしてましたね。

ースペインですか!なぜまたスペインへ?

当時はまだユーロになる前だったので、物価も安かったんです。スペインでは3ヶ月ほど語学学校に入り、その後にスペイン各所を周ったりして美術的なものを見てました。

スペインに決めた理由は「フラメンコ」です。高校のときにフラメンコが好きだったんですよ。フラメンコが決めてでもあるし、やっぱり食事も日本人に合うしいいかなと思って、簡単な気持ちでスペインに決めました。言語の壁とかいろいろ含めて、全然簡単ではなかったんですけどね。

ー言語の壁等もありながら現地での生活を満喫しつつ美術品めぐりをされていたと思うのですが、当時の経験は今も活きていますか?

そうですね。実は今もイタリアへ年に一度行くんですが、留学時に知り合った人とご一緒することもありますし
なにより、海外に行っても迷いがないというか、恐れはないですね。そういう意味では留学時代の経験は今も活きていると思います。

ー今もイタリアへ行ってるんですね。それはご自身の作品の発表とかですか?

はい。とんぼ玉ではないのですが、実はミクロモザイク作品も作ってまして、その関係でイタリアに行ってます。

編集注
ミクロモザイクとは、硝子の子片を隙間なく組み合わせて仕上げていくことによって出来上がる。18世紀末にローマで誕生。(参考URL

ーミクロモザイク作品も作られているのですね!
帰国後は本格的にとんぼ玉の制作を始めたのですか?

いえ、実は帰国後は一年ほど蓼科にある美術館でインストラクターとして働いてました。その後にとんぼ玉の教室を始めて、創作活動も本格的に始めたという感じです。

ー蓼科でのインストラクター経験もあり、本格的に教室も始める。この東十条で始めたのはなにかこだわりがあるんですか?

やっぱり生まれ育った街ということもありましたし、実家の呉服屋の2階にスペースがあったんです。
そこは元々着付け教室や三味線教室で使われていたんですが、その一角を借りてはじめました。

そして、6年ほど前から拠点を今の場所に変えました。

ーとんぼ玉について詳しくお聞かせください。とんぼ玉の定義とその特徴はなんですか。

まず大前提としてとんぼ玉はガラスで全てガラスで出来ています。そこに穴があいており、柄や模様がある。それがとんぼ玉です。

とんぼ玉は、装飾品なのでネックレスや根付けなどに応用されます。今は、新しい取り組みとしてとんぼ玉を帯留めとして、また各種着物小物として活用していたりなどに取り組んでいます。

昔は印籠の留め金具の一部として使用されることが多かったんですが、今ではいろんな活用方法がありますね。

ーかつては留め具だったものが、時代に合わせて使われ方も変わっているんですね。とんぼ玉は一般的に丸いものをイメージしますが、なかのさんの得意な技術・技法はありますか?

フィギュア的な作品です。恐らくあまり見たことがないと思うのですが、実はとんぼ玉の技術を応用してフィギュアのような作品をつくっているんです。

こちらは「風神雷神」です。

昔はとんぼ玉というとやはり丸くて、根付の飾りとしてしか使われていなくて、そこで新しい取り組みが出来ないかと思い作りました。
これ、各部品を全てくっつけているんですよ。熱する温度を間違えてしまったりすると冷めるのに要する時間が変わり、ガラスが割れてしまったりするんです。なので、各部品の大きさによって温度などを変えたりして作っています。

ー道具や素材へのこだわりはありますか?

ガラスは国産のを使用しています。佐竹硝子さんのものを使用していまして、私はとんぼ玉制作を始めた頃からずっと使用しています。ミクロモザイクを始めてからはイタリアの硝子をも使うようになりました。とんぼ玉は佐竹硝子さんのものだけですが、ミクロモザイクではときに二種の硝子を混ぜてみたりしています。

ー使う硝子の違いってありますか?

作品として完成してしまったもので確認できる部分はあまりないのですが、やはり作っている時にそれぞれの違いを感じますね。熱した時の溶け具合が一番顕著です。イタリアの硝子はやや硬めなんですよ。それに比べて国産の佐竹硝子さんのものは柔らかい。この工房にあるバナーは火力がちょっと弱めなので、イタリアの硝子を加工するのにはちょっと苦労するときもあります。

なかのさんが好む佐竹硝子

ー好きな技法等はありますか?

和柄ですね。あとは、「ムリー二」というのがあるんですが、これは金太郎飴のように全てのパーツを別々に作り、全てを組み合わせ顔を作り、火の中で伸ばしていくというものです。これだとどこで切っても同じ顔になるんですよ。金太郎飴の硝子版ですね。そういうのを作り、玉の中にいれる。それが得意であり好きです。

この七福神のとんぼ玉もその一つです。

ー作家が語る”とんぼ玉の魅力”はなんですか?

この小さな、数センチしかない玉の中に様々な世界観があるんですよ。
とんぼ玉って、360度柄が入っていて見る角度によって柄は変化しますし、ぜひこの世界観をぜひ楽しんで頂けたらなと思います。

ー現在の生産体制や、一つの作品が完成するまでに要する時間を教えて頂けますか。

現在は僕一人で創作活動を続けています。どうしても作家の色が出るので弟子を募集したりすることはしていないですね。簡単な玉は元生徒さんとかに頼んで作ってもらったりしています。また、妻に手伝ってもらってます。僕が作った玉をネックレスにしたり、催事などで販売のお手伝いをしてもらっています。

制作時間ですが、ものによりますね。先程ご覧頂いた「風神雷神」のようなフィギュアみたいなものは別で全てのパーツを準備して、組み立てにだいたい1時間〜1時間半くらいですね。
これはやっぱり温度ムラを出さないためですね。簡単なもので巻くだけのものなら10分もかからずで作れますよ。でも、その後に熱した玉を覚ます工程などがあるので、完成するまでは1時間以上要しますね。

本当に物によっては忍耐力や集中力がいる職業だなと常々思います。

ー最後に、今後についてお聞かせください。

昔はとんぼ玉というと「玉」単体だったので、帯留めとして活用されたり、新しい使われ方がされていると思います。20年前くらいにとんぼ玉ブームがあったのですが、今はまたちょっと衰退してしまっていますね。現在、北区の伝統工芸士会に所属しておりまして、そこで子どもたち向けの体験会をやったりしています。ものづくりを次世代へつなげるためには、まず知ってもらう。そこから始めるのが第一歩だと思います。

私個人としましては、とんぼ玉の技術を使いながら、ミクロモザイクの混ぜたりして、とんぼ玉に活かせたらなと思っています。新しい作品作りだったり、とんぼ玉の新しい活用方法のご提案だったり。

見る方々が楽しめるものづくりを続けていきたいです。

ー見る方を楽しませる作品作り、いいですね!本日はありがとうございました!

こちらこそありがとうございました。

なかの雅章さんの作品

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【文責:戸田 秀成】
【写真:金子 燎之介】