過去が息づく武蔵野の住処

日本伝統の建築構造による建物といったら、何を思い浮かべますか? 「古民家」は先人が実際に暮らしていた家屋で、趣のある古材や風格のある外観など、長い年月を経た独特な味わいがあります。古民家を見るとなんとなく日本人としての郷愁をくすぐられます。 今回は、埼玉県にある古民家の一つ「柳瀬荘」をご紹介いたします。

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《柳瀬荘》

埼玉県所沢市大字坂之下にあり、松永安左エ門(1875~1971年)の別荘だったものです。松永氏は「電力の鬼」ともいわれた、電力界で知らぬ者のない大実業家で、茶人でもありました。柳瀬荘は昭和23年(1948年)に東京国立博物館に寄贈されたため、現在は東京国立博物館の外部施設となっています。毎週木曜日に、外観のみ無料で一般公開されています。 敷地面積は17235㎡(約5200坪)で、苔庭や竹林の中に江戸時代の民家の特色をよく示している「黄林閣」、書院造りの「斜月亭」、茶室の「久木庵」などが残されており、静寂な雰囲気に包まれています。

◎黄林閣(おうりんかく)

柳瀬荘の中心的な建物です。もともとは東京都東久留米市柳窪にあった庄屋の住宅で、天保15年(1844年)に建てられました。それを昭和5年(1930年)に松永氏が譲り受け現在地に移築し、昭和53年(1978年)には国の重要文化財に指定されました。面積が381㎡もある、庄屋の格に相応しい立派な建物です。 入母屋造り(いりもやづくり)という格式の高い茅葺きの屋根が特徴的で、大戸と呼ばれる正面の出入り口から中へ。広い土間が取られていて、かまどや囲炉裏があります。見上げると高い天井を支えるたくましい柱や梁が。そして西側にはいくつもの居室が設けられ南面しています。座敷には床、棚、書院があり、南側居室部の中央に身分のある客を迎えるための式台があります。 このように、江戸時代後期の高度な建築技術が至る所に応用されているのです。 kominka2  kominka3 kominka4 kominka5

◎斜月亭(しゃげつてい)

松永氏が昭和13年から翌14年にかけて建築したもので、奈良東大寺や当麻寺などの古材を用いて造ったと伝えられています。 8畳の上の間、6畳の次の間、緑座敷の表5畳で構成されており、床柱を丸くした数奇屋風書院造り(すきやふうしょいんづくり)による建物です。しかし、書院座敷でありながら長押(なげし:柱を水平方向につなぐ建材)を廻したり、侘び寂びの通念を打ち破る襖絵を取り入れるなど、松永氏の個性あふれる建築物となっています。

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◎久木庵(きゅうぼくあん)

江戸時代初期の建物で、越後の武士の茶室であったものを昭和13年頃、解体されていた材料をもって建て替えられたものです。2畳台目の茶室と4畳程の水屋で構成され、茅葺き屋根(現在は鉄板で改修)、柱を隠さず見せる真壁造り、木目が綺麗に見える杉の面皮柱・木材で天井を押さえる竿縁天井などの技術が用いられた、落ち着きのある簡素な茶室です。

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~最後に~

古民家は、日本の風土や生活に根付いた自然素材でできています。立派な木材がふんだんに使用されているため、その多くは今でもそのまま使用できる場合が多いそうです。最近は空き家を民宿やカフェとして再生する動きも高まっているので、気軽に行くことができますね。ぜひ一度古民家を訪れ、あなただけの古民家の魅力を見つけてください!

 

参考:
柳瀬荘 東京国立博物館

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